アグラサーラ孤児院の成り立ち

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1943年、ベンガル地方を襲った大規模な飢饉によって、大変多くの人の命が失われました。アグラサーラ仏教孤児院は、1943年の大飢饉の後に孤児たちを飢餓から救済するために大僧正ヴィシュッダナンダ・マハテロによってバングラデシュのチッタゴン市郊外に設立されました。

アグラサーラ孤児院1994年設立

バングラデシュの最高総司教
ヴィシュッダナンダ・マハテロ大僧正により設立
  • ・1943年、ベンガル地方を襲った大規模な飢饉によって、数千の人の命が失われました。
  • ・共同体の自助精神のもとに、死に瀕した孤児やその他の子供たちを救済するために設立されました。
  • ・当初、被災直後でほとんど資源のないにもかかわらず、この共同体によって資金が拠出されました。
ヴィシュッダナンダ・マハテロ大僧正
ヴィシュッダナンダ・
マハテロ大僧正

その後、同院の活動は孤児院にとどまらず、次第に拡大していき、現在は小学校、中学校、高校、女子短期大学、女子宿舎、寡婦ホーム、職業訓練センターを含む複合教育・訓練施設となっており、貧困のために教育を受けられない青少年たちに必要な教育の機会を提供し続けてきました。卒業生の中からは、看護師、教師、ビジネスマン等、社会に有益な人材を数多く輩出してきています。

アグラサーラ孤児院の業績 卒業生会の部分的なリスト
職業/職位 人数
海外移住者24
教授(1名はPh.D.学位)4
教師6
看護師11
ビジネスマン22
公務員7
銀行員7
自営業57
聖職者 (ソーシャルワーカー, denouncing family life) 21
専業主婦19
178
※全員が少なくとも高校を卒業しています。
注意: この表は未完成なものです。

僧侶紹介

ヴィシュッダナンダ・
マハテロ大僧正
ヴィシュッダナンダ・マハテロ大僧正
  • ・バングラデシュの最高総司教
  • ・1909-1994により設立
  • ・1994年85歳にて他界
ヴィシュッダナンダ・マハテロ大僧正の主な活動
  1. ・仏教徒世界連帯会議(WFB):スリランカ、1950年
  2. ・宗教と平和に関する世界会議(WCRP):京都、1970年
  3. ・宗教と平和に関するアジア会議(ACRP):シンガポール、1976年
  4. ・アジア仏教徒平和会議(ABCP)
  5. ・世界sangha評議会
  1. ・国内および海外における多数の各種組織および団体
ヴィシュッダナンダ・マハテロ大僧正の遺志は引き継がれています。
  1. ・バングラデシュの人々に、
  2. ・世界仏教徒共同体に、そして、
  3. ・彼の平和への使命と人道支援に共鳴する、世界中の平和を愛する人々に。
栄誉ある数々の平和賞をうけました。
  1. ・「世界平和賞 金メダル」世界平和と異なる宗教間の信頼構築に対する貢献により、モンゴル(1990)
  2. ・「ガンジー平和賞」ガンジー平和財団、ノルウェイ・オスロ(1993)
  3. ・バングラデシュ政府の最高賞「Ekushe 金メダル」彼の生涯の業績に対して、2005(没後)
スガッタナンダ・
マハテロ大僧正
スガッタナンダ・マハテロ大僧正
  • ・事務総長略歴(1958-2001)
  • ・助言者であったヴィシュッダナンダ・マハテロ大僧正のもとで初めて仕事に就く。
  • ・彼の努力と奉仕によってアグラサーラは彼の時代に大いに発展しました。
  • ・スガッタナンダ・マハテロ大僧正は彼が病気になる2001年まで孤児院を運営しました。2005年、彼は73歳で他界しました。
スガッタナンダ・マハテロ大僧正の主な活動
  1. アグラサーラ高校
  2. アグラサーラ女子大学と女子寮
  3. 虐待を受けた女性のためのホームと
  4. 職業訓練センターその他
教育機関と社会事業組織の設立を支援しました。

スガッタナンダ大僧正は国内における種々の分野において、他の多くの教育機関と社会事業組織の設立を支援しました

  1. ・「世界平和賞金メダル」韓国における仏教世界連帯会議
  2. ・「平和メダル」ロシア宣教師によって
  3. ・「Dhamma Dhuta(ダーマ・ドゥータ)」-(仏陀の教義の大使あるいは信者としての)称号
  4. ・「社会事業に対する金メダル」、バングラデシュ政府による
  5. ・「世界平和と人道主義賞」に対してインドから
Dr.スニッタナンダ・
ビック大僧正事務総長
Dr.スニッタナンダ・ビック大僧正事務総長
  • ・2001年1月ー2007年3月
  • ・スニッタナンダ博士は仏教考古学の学者でした。博士は3冊の本を著し、出版しました。
    • 1)バングラデシュにおける仏教考古学
    • 2)バングラデシュにおける修道院の生活
    • 3)jataka(ジャタカ)文学における女性像
  • ・主題に関する彼の論文の数が国内、国外で発表せれています。
    2007年3月、スニッタナンダ博士は、週末恒例の大学から孤児院までの移動中、悲劇的な交通事故により50歳で他界しました。
スニッタナンダ博士の活動と業績
  1. バングラデシュ国立博物館(ダッカ)副館長
  2. ・東京大学で学位取得後、同大学で研究活動
  3. ・バングラデシュ国立大学(ダッカ)教授

彼の二人の先人が夢見、未完成で終わったプロジェクトと同様に、スニッタ博士は幾つかの新しいプロジェクトに生涯を捧げました。
彼の主導により、社会に出て自立を遂げている多くの卒業生が組織化され、活動に参加するようになりました。

バングラデシュの子どもたちの
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